二人乗りの自転車はどこまでも行けたのさ

取り留めないことだらだらと

身体を使って書くクリエイティブ・ライティング講座に参加して

年明けを迎えてしまったので、もう一昨年の12月のことになる。小野美由紀さんと青剣さんの主催する「身体を使って書くクリエイティブ・ライティング講座」へ参加した。

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この頃の私は文章を書くことに漠然と焦りを抱えていた。昔は今よりもずっと、もっとのびのびと、おもいが言葉に象られていく手応えを味わいながら文章が書けていた(気がする)のにそれができない。できない理由もよくわかってない。書けずにいる間も、日々蓄積されていくいろんなおもいが内にどんより重たく渦を巻き続けている。このままでは具合が悪いので吐き出したくても、胸が痞えたかのように言葉が出てきてくれなかった。

その痞えから解放されたい。モヤモヤを成仏させたい。そんな思いで参加した。

 

参加に踏み切れたのは、主催が小野美由紀さんだったからだ。小野さんは自伝でご自身の母親との葛藤や想いを吐露されている。*1私は十代半ばの頃から今もずっと、母との噛み合わせの悪さにもどかしさと諦めが混じり合ったものを引きずりながら過ごしてきた。離れて暮らし、母が私を産んだ年齢へと私が近づくにつれて、過去に母と過ごした時間への眼差しの温度感も変化し続けてきた。過去の母のこと、これから母とどう向き合いたいのかを、誰かに伝えることを前提とした文章に表したかった。小野さんの前でならそれが出来るかもしれないと思ったのだ。

 

ワークの内容はこちらの方が詳しく書かれています。今は内容も変更されているのかもしれません。

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そして当日。会場に入ると、真っ先に肌で感じた空気感に驚いた。初参加のワークショップ、初めて来た場所、初めて会う人たちに囲まれているのに、「あ、ここは絶対に安全な場所だ。何も怖がらなくていい。」と脳が静かに体に呼びかけて、肩の力がストンと抜けて、息が深くなったあの瞬間は忘れられない。その大らかな空気感の正体は、ワークショップの約束事にあった。

このワークショップでは3つの約束がある。

  1. 人にも自分にも批判しない
  2. (ちゃんと、きちんと)できなくていい
  3. ”好き””やりたい”を大切にする

 

この約束のもとワークを進めていくと、「見栄っ張りスイッチ」が次々と切られていって、大窓を全開に開け放ったように心の風通しが良くなっていくのがすぐわかった。スイッチが切られるまで、そんなものが内に在ったことすら気づけていなかった。

自分を良く見せようとしなくていい。

虚勢を張らなくていい。

取り繕わなくていい。

誰かと比較しなくていい。

 重たいブレーカーがドスン、と落ちて、暗がりと静けさに放り込まれるようだった。それは何にも代え難い心地よさだった。胸の痞えの正体だった「見栄っ張りスイッチ」がよいしょと外れて、ようやく自由に”感じて””書く”に至れた。そして自分が周りから見透かされている安心感が生まれて、感じたままを素直に書くことを迷いなくさせてくれた。文章の読み手側に立ったときも、参加者の書いた文章に素直に頷き、批判的にならずに本心で肯定の意を口にできるこの場は、なんて息がしやすいのだろうと胸が震えた。自由で発散的で、でも放埒ではなくて、人がその場でうーんと羽を伸ばして書いた文章はどれも血が通っていた。

 

青剣さんはワークの最後に「恥とは心に耳を澄ますことで、ここはそれが出来る祭りのような場所。普段しないことをすることで、殻を破れる。」と仰った。

 

私と母のことを文章に起こす作業は、はっきり言うと苦しかった。心に耳を澄ますことは、気力体力を半端なく消耗する。恥ずかしくてかっこ悪くてできれば直視したくない、あまりに情けなくて頼りない自分、切実なんだけどつつかれれば途端に崩れそうだから仕舞っておいた母へのおもいのあれやこれやは、掘り起こすのも文章として人前に差し出すのも本当にしんどかったけど、小野さんたちが設けてくださった「今日この場と空気」のおかげで「今この空気吸ってる状態じゃなきゃこんなこと書けないし読んでもらえない!!!!!」という切迫感がペンに馬力をくれた。

 

帰り道、ぶらんぶらんに脱力しきった体で電車に座りボーッとしながら「自信」について考えていた。

私はこの日まで自信というものを、他人と比較したときに自分の方がマシであると安心したときの副産物として扱ってきた気がする。要は他人を見下して得ていたわけで…サイテーだなと…。

この日、小野さんや青剣さん、参加者の皆さんから頂いた言葉の数々は、私の”恥”を差し出した結果頂いた宝物で、これこそが明らかな本物の「自信」ではないかと思った。

何かに怯んでしまったときのカンフル剤で、震える足でも一歩踏み出すための力になってくれるもの。行きたい場所へ辿り着くまでのお守りのようなもの。

 

疑いなくこの一日の経験は私にとって、夜の海に建つ灯台のような存在になっている。

 

掛け替えのない時間をありがとうございました!